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東野 圭吾さんの『白鳥とコウモリ』を読みました

最近少し余裕がなくて本の感想を書かずにいたら、読んだ本の印象がどんどんなくなっていって、自分の中にほとんど残っていないような感じがしています。読みこなすことばかり考えているような気がする。でも読まないと何も分からないままだから、やっぱり何でも読んでいくしかない。

この焦りというか、もっともっと!って急いで読んでいる感じ、なんなんだろう。本だけでなくて、映画とか漫画とかも詰め込みすぎている気がする。プライムで1日に3本映画観たら、夕方1本目何観たか考えないと思い出せなかった。。。汗。観た意味。。。)

そして”読むべき本”をがんばって読むために、いつもご褒美の本を用意している。これ読んだらこっち読んでいい、みたいな。

この『白鳥とコウモリ』もご褒美本として借りた来たもの。東野圭吾さんの作品は図書館では予約数が多すぎるので、図書館員としては予約が落ち着くまで借りるのを控えている。去年の今頃出た本だと思うのだけど、借りるのに1年もかかってしまった。

どうせ他にも読みたい本は沢山あるのでそれは構わないのだけど、やっぱり『マスカレード・ゲーム』も早く読みたいものです。

白鳥とコウモリは、犯罪者家族と被害者家族の苦悩と葛藤の様子に、罪と罰について考えさせられる作品です。一番悪い奴は最初に殺されたやつやん、全部そいつが悪いんやん!って思うけど、法律ではそいつを殺した犯人が一番悪くて、それを庇った人も悪くて、なんでそうなったかは関係ない。さらに犯人の家族・子供っていうだけで悪く言われて、いったい悪いって何なのか、罪って何なのか?人情と法律は両立されないことを改めて感じました。

悪い人、悪い行い。

現実では、一人ひとりの心の動きをお互い(自分ですら)正確には分からないから、小説でそれぞれの思いを読んで考えることは、意義あることだと思う。神様目線というか。

では神様は判断できるのか?神様は罰しない。ただ、仕組みがあって、個々が存在し、影響しあい、過去があり未来がある。それだけの事だと思う。神様もこの世界を見て、私が小説を読むようにただ面白がって見ているのかなと思ったりする。

人間は神様も作り、同時に法律も作り、律に反する者を罰することもできる。

人間ってすごいな。なんでもありのこの世界。

 

最近の実績 ~5/24

一般書:シリウスの反証、花束は毒、推理大戦、透明な螺旋、あちらにいる鬼、誉田哲也が訊く!、マスカレードホテル、図書室のはこぶね など。

児童書:精霊の守り人、えんどうまめばあさんとそらまめじいさんのいそがしいまいにち、飛ぶ教室、うさぎのみみはなぜながい、ミリー・モリー・マンデーいつま3

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フクミ
本の感想と、日常で感じたことを書いています。 私は今の自分や生活を気に入っています。 文章化することで、幸せがもっと明確になるような気がします。