アイのアイデンティティ。「自分は存在していない」ところから、「私、ちゃんといるな」と思えるまでの、ストーリー。悲しみも多いけど、愛に溢れた作品でした。
こう感じなきゃ、こう考えなきゃ、、、みたいのは要らんのよ、自分の心は自分のものよ、って意外とできない。
渦中にいるときは辛い、その時に悩み考えて生み出されたものが、のちに自分の人生に生きてくる。
この本については書きたいことが沢山あるけど、中でも自分の経験を思い出したテーマについて具体的に書いてみようかなと思います。
私は息子がおなかに来てくれるまでに、3年半ほど待ちました。子供が欲しかったので、それはずいぶん長かったです。その間、子供を産む人と産まない人との差ってなんだろうとずっと考えていました。つもりがなくても産める人もあるし、そうしたくてもどんなに願っても産めない人もいて、無力感が半端じゃなかったです。自分に何か問題があるような気がして、理由を探してしまって、ただただ感情的になっていました。
でも、妊娠して出産してみたら、え?なんで自分には出来ちゃったの?あんなに出来ない出来ないって悲しんでいたのに、今だって苦しんでいる人いるのに、、、?って、すごく幸せだけど、結局無力感。
そしてその後、3度流産しました。3年半全く兆しなく、突然何故か妊娠して、元気な子供が生まれてきて、なのに今度は1年半の間に3回も簡単に妊娠して、簡単に死んでしまいました。
妊娠出産と言えば母親中心のようだけど、赤ちゃんにとってその人生が始まる最も重要なイベントではないか。母親マターというより生まれくる魂側のマターじゃない?
よく考えてみたら、私だって自分が決めて母のおなかに入った訳ではない(そうだと考える方もいますが)けど、生まれてきて、せっかく生まれてきたのだから私の役目を楽しく生きようと試行錯誤している。
今となっては息子は、夫や友人のように、私の人生の一部分になったという理解です。お互い一個人。もちろん息子を大切にするけれど、私は自分の人生も大切にしなければならないから、お互い頑張ろうという。
そういえば、私の3回目の流産の掻爬手術が終わった後、助産師さんからこんな事言われました。
「○○さん、手術中、目開けはったんでびっくりしました~。そんで笑ってはりました(笑)。やから麻酔追加してまた眠らはったけど。大丈夫でしたか?何か覚えてはりますか~?」
足を開いて手術されながら笑ってるって。。。恥ずかしかったです。けど、死んでしまった赤ちゃんを、笑って見送っていたことにしよう、と思ったのでした(笑)